デジタルもアナログも、遊びのコアは変わらない――「ぷよぷよ」や「バロック」を生み出した米光一成氏がボードゲームを作る理由【米光氏インタビュー前編】

2022.10.27
注目記事インタビューゲームの舞台裏アナログゲーム
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『ぷよぷよ』や『トレジャーハンターG』、『バロック』など往年の人気タイトルを手掛けたゲームデザイナー・ゲーム作家の米光一成氏。1980年代からゲーム業界を駆け抜けた米光氏は現在アナログゲーム作家としても活動を続けており、例えば『はぁって言うゲーム』などは同氏が一人で作り上げた作品となる。

今回はアナログゲームの祭典「ゲームマーケット」直前企画として、デジタル・アナログ両分野でヒットタイトルをリリースした米光氏に長編インタビューを実施。前編となる本記事ではゲーム業界の変遷と、米光氏がアナログゲームづくりに魅力を感じた経緯について聞いた。

TEXT & EDIT / 神山 大輝

PHOTO / 神山 大輝,吉田 千夏

目次

米光一成

ゲーム作家/ライター/デジタルハリウッド大学教授。代表作「はぁって言うゲーム」「あいうえバトル」「変顔マッチ」「ぷよぷよ」「バロック」「トレジャーハンターG」「ベストアクト」など

80年代のゲーム業界は文化祭のような賑やかな雰囲気だった

――今日はよろしくお願いします。デジタルゲームとアナログゲームの”遊び”をテーマに、広くお話をお聞きできればと思います。まずはコンパイル時代のお話からお聞きできればと思いますが、米光氏は同社初となる企画職として入社をされたと伺っています。

はい、1984年にコンパイルに企画職として入社しました。当時のコンパイルは10人程度で、プログラマーとデザイナーとサウンドがみんなでワイワイ、ゲームを作ってた感じでしたね。

マンションを二部屋借りてオフィスにしていて、社長がスーツにスリッパで出てきて、隣の部屋では社長のお母さんが洗濯物を干していて……。でも、当時はそのくらいのゲーム会社がたくさんあったんですよ。PCショップがあって、そこにパソコン少年が集結して、プログラムができる人がゲームを作って通販するという流れもありました。若者が文化祭のノリでやって、発売すれば売れるという楽園の時代ですね。

ただ、規模が大きくなって、好き放題にやっているとゲームが完成しなくなってくるんです。規模拡大によって開発期間が半年や1年などに伸びると、完成する前から飽きてしまう。だからスケジュール管理の必要性が出てきて、そんな中で企画職を募集するという流れになっていたようでした。

――1983年にファミリーコンピュータが発売されたこともあり、徐々にゲーム開発にも企画の必要性が出てきたと。これは各社それぞれやり方が異なるとは思いますが、少なくともコンパイルでは米光氏が入社するまでは企画職はいなかったんですね。

最初は紙ベースで進行管理を行うのがメインの仕事でしたが、現場にも「ゲームそのものの企画書が必要」という意識が芽生えてきました

決定的だったのはRPGの登場だったと思います。シナリオ、マップ、バトルなど、1人で全てを行うのは物量的に難しくなってきたため、企画職が複数人に及ぶなど分業化が促進されました。当時のRPGは「画面総数が何画面、敵が何種類」といった物量で競う面もあり、そこも相まって分業化、規模拡大化が進みましたね。

私の先輩たちにとっては楽園の終わりだったかも知れません。企画を立てて、管理されながらゲームを作るようになってしまった。でも実際にはまだまだ文化祭の残り香、ワイワイした雰囲気も残されていて、そこから徐々に組織的な開発体制にどう変わっていくかっていう格闘の時代だったんですね。

『テトリス』の面白さを言語化し、発想を転換して作られた『ぷよぷよ』

――その後、コンパイルも急激な組織拡大がありましたね。その過程で生まれた『ぷよぷよ』の企画について、詳しく教えてください。

当時はみんな『テトリス』に衝撃を受けていましたね。リッチに、大規模に、という方向性でゲームが進化していく中で、「これだけシンプルでもめちゃくちゃ面白い!」ということを叩きつけられたわけです。しかも、経営者的にも嬉しい。大規模タイトルは売れなかったら大問題ですが、テトリスは「昔3人くらいで作っていたタイトル」くらいの規模ですから、冒険しやすかったんです。そこで、コンパイルでもシンプルな落ちゲーを作ろうっていうプロジェクトが立ち上がったんです。

――令和の時代でも大規模なゲーム開発会社が社内にインディーチームを作るような流れがありますが、どことなく思想が似ていますね。この時はまだ米光氏はプロジェクトに参加されていない状況でしたか?

その時は参加していなくて、社内で他の方が作ってました。でも、なかなか面白くならなくて苦戦してたんですね。かと言ってボツにするのももったいない。この状況を打破するために喫茶店で部長会議をやるぞとなって、私も「喫茶店でコーヒーが飲めるなら行きたい!」と会議に参加して、その結果「米光、お前がなんとかしろ」ということになってしまい……。そこから、本格的に企画をスタートしました。

この時、デザイナーもプログラマーも次のプロジェクトに入ってしまっていて、そんなに時間を割けられない、という状況でした。残されたのは作り途中の落ちゲーだけ。本当はこれをアレンジして面白くしなさいという指令だったんですが、もうみんなの士気も下がっていて、今あるものを小手先でアレンジしても難しい段階でした。そこで「ゼロからやり直そう!」ということで、プログラマーにも「放課後の2時間をください」と直談判して、プロジェクトをリスタートさせたんです。ガラッと制作体制やゲームを変えないと、もう一度プロジェクトとして活気のある状態にはできないと判断したんですね。アイデアをまとめておいて、勤務時間が終わった後にプログラマーにその修正を入れてもらって、それを遊んでみる……ということを毎日くりかえす流れになったんです。

――スモールチームでアイデアを出し合って、何度も企画を練り直す……というのは、ここに来てまた「楽園時代の作り方」に戻った感覚ですね。

残業と言えば残業だし、でも半分趣味というか、そんな試行錯誤の時間を体感では1年ほど続けたんじゃないかと思います。

まず、「テトリスの二番煎じにはなりたくないので、テトリスの好きなところをキーワードとして書き出す」という作業をやったんです。その結果、テトリスは「ソリッドなイメージ」で、硬いブロックが落ちてきて、一直線になると消えるという幾何学的なパズルゲームであることがキーなのだと認識しました。だから、ソリッドを逆転させて「ソフト」をキーにしようと決め、ぷよっとした柔らかい質感のゲームになったわけです。

真っ直ぐ消えるのではなく、ぐにゃぐにゃで消える。これを実現するためにはどうすればいいかを考えて、「まっすぐ並んだら消えるのではなく、色を繋ごう」という発想が生まれました。人と対戦できるのも、ソリッドの反転。キャラクターを出したり、声を出したりするのも、柔らかさを演出するためだったんです。こうして生まれたのが『ぷよぷよ』です。

これは絶対面白いという確信がありましたし、実際テストプレイヤーが全然オフィスから帰ってくれないほどハマってくれていたので、手応えはありました。

Wii(R) バーチャルコンソール公式サイト ぷよぷよ。なお、米光氏がリリースに携わったのは初代のファミコン(ディスクシステム)版とMSX版。その後、移植版のアイデア出しをして、開発途中に退職している(動画はSEGA公式Youtubeチャンネルより引用)

理想のゲーム開発環境を求めて転職、そしてアナログゲームづくりの世界へ

――『ぷよぷよ』はゲームセンターでの稼働が起爆剤となり、大きなブームとなりました。米光氏は91年退職ということで、ちょうどアーケード版、メガドライブ版の手前ですね。せっかく手応えのあるタイトルを作ったのに、どうして会社を離れたのですか?

振り返ると私も大人げなかったのですが、当時は「一般企業のように組織化を進めるのではなく、ゲーム組織としてもっと上手くスケールできないか?」と考えていて。結局、その部分の意見が合わずに退職しました。

会社は社員の仕事が空いてしまうのがリスクですから、社員をラインで管理します。でも、バンドのような形で、「この人でないと世界観が表せないから、この人と組みたい!」と気軽にチームを組めるようにしてくれないと、いい作品が作れないと考えてました。

結局コンパイルは辞めて、元コンパイルの山藤武志さんが設立した株式会社スティングに企画・監督職として入社することになりました。「すぐには難しいけど、5年後には米光が作りたいゲームを作っていいから」と約束してもらって、実際約束どおりに『バロック(BAROQUE)』を作らせてもらいました。

――それでは、『バロック』こそが本当にやりたかったタイトルなんでしょうか?

それ以前も、やりたかったものしか作ってないんですけどね。とはいえフレームというか、制約はありました。その前の『トレジャーハンターG』でも監督・脚本・企画を担当していて、バトルシステムなども私が提案したものなんですが、スクウェア(現・スクウェア・エニックス)がパブリッシャーでしたので、スクウェアのスピリッツを意識して作りました。

そういう点では『バロック』はスティングの自社タイトルだってこともあって、予算などの外的要因以外はやりたいように作りましたね。

1998年に発売されたアクションダークファンタジーRPG。その後PlayStationやWii、Nintendo Switchにも移植されている(画像は公式サイトより引用)

この時は思い描いたバンド制というか、スティングで一番信頼していたデザイナーと仕事をしていたし、外部の人もベストなメンバーを探して、鬼頭栄作さんに異形を作ってもらったし、サウンドは岩田匡治さんだし、オープニングのナレーションは高山みなみさんだし、オープニング映像は海外スタジオのイナーシャピクチャーズだし、『七人の侍』みたいに続々と猛者たちが集結した感じでしたね。

――2000年頃までは組織でデジタルゲーム開発をしていた米光氏ですが、現在は独立してゲーム作家を名乗られています。ここに至るまで、どういった過程があったのでしょうか。

私がスティングを辞めたのはPlayStation 2が出る直前。プロジェクトの人数も100人を超えるような時期で、大変でした。でもやっぱり、コンパイルに入った最初の頃、数人でワイワイ作っていた緊密感が本当に好きだったんです。ディレクターとして作品に責任を持つことも、人数が増えれば増えるほどしんどかった……数百人という単位でのものづくりが自分には向いていないと感じたんです。

当時はまだスマートフォンもなくて、タイトル規模がどんどん大きくなってきて、会社的にも規模を拡大する方向しか見えてこない。

――大規模なプロジェクトになる以上は経済合理性がないと前に進めませんので、それは正しいですね。ただ、もうこの時点で随分と楽園の時代からは遠ざかりましたね。

だから、少人数で面白いミニマムなゲームを作りたいと思って、独立した後はそういう企画をたくさん出していたんです。でも、「いや、それより大規模MMORPGをやってくれない?それなら予算いくらでも出すよ」みたいに言われて、なかなかやらせてもらえなくて。「大規模じゃないけど、結晶みたいにぎゅっと詰まったゲームを作らせてくださいよ」って頼んでも、当時は難しかったですね。

遊びのコアをすぐに試したい思想とアナログゲームが合致していた

――この流れで、アナログゲーム制作を始めた理由をお伺いしたいです。「転向」という言い方が正しいか分かりませんが、現在はアナログゲームでも数々の大ヒットを生み出していますね。

インタラクションが好きなんですよね。だから、コンピュータゲームもアナログゲームも大好き。コンパイルに入社した当時は、コンピュータが(インタラクションを)実現するのに最も適していたんです。アナログゲームはコミュニティも今みたいに多くありませんでしたし、そもそも就職先としても見つけづらかった。流通も今ほど充実していませんでしたしね。

デジタルもアナログも、どちらも作りたいんです。実際、1990年発売の『魔導物語1-2-3』のパッケージのオマケにはカードゲームを入れています。米光の商業的なアナログゲームの一作目です。

――その後、ゲームマーケット2014春では『想像と言葉』をリリースし、大きな話題となりました。この頃から「アナログゲーム作家」としての米光氏のスタイルが確立してきた印象があります。

この頃は立命館大学映像学部の「インタラクティブコンテンツ制作実習」という授業を担当していて、ゲームの作り方を教えていたんです。ところが、ゲームの作り方の授業なのに、その手前のプログラムで引っかかる。プログラムの授業じゃなくて、ゲームづくりの授業なので、これは良くないなーって思って。

そこで、「カードゲームを作る」という課題を出すようにしました。紙とペンでカードゲームを作って、私も含めて数名で遊んで評価するという形です。カードゲームだったら簡単にできると思って作ってもらったんですが、意外とこれがむずかしいみたいで。ゲームとして成立してないものができてきたりする。

――プログラムが出来なくても、誰でも作れるのがアナログゲームの魅力ですね。ところで、ゲームとして成立していないというのは?

たとえば、簡単に必勝法が見つかっちゃう。「ランダムで出てきたカード3枚の単語から親が連想したワードを当てる」っていうゲームを作ってきたりする。このルールだと、親が突飛な連想をすると当てられないので、ありえない連想をすればするほど勝てるんです。

そうすると推理しようがなくなり、面白くなりません。そういうゲームをプレイしちゃうと、「こうしたら成り立つよ!」って、ついついアドバイスしちゃう。学生が自ら発見するようにしないといけないのに、ついね……。で、神谷 聡子さんという学生の案をベースにしてゲームを作って、共作という形でゲームマーケットに出展しました。

それまでもゲームマーケットにはいち参加者として足を運んでいましたが、実際に出展して衝撃を受けたんです。デジタルゲームを作り続けていた自分にとって、誰かが自分の作品をプレイしている様子を見るのは本当に新鮮でした。

『想像と言葉』を100人で遊ぶイベントが開催したり、NHKラジオでも『想像と言葉』をプレイする番組を持たせていただいたり、アナログならではの広がりもありました。デジタルゲームとは異なる展開のやり方があることに気付いてからは、定期的に作品を作るようになりました。

今年のゲームマーケット2022秋でも、「走れメロスたち」「国家予算人狼」「うんとちん」の3作を出す予定です。Anagumaと一緒に出して去年あっという間にソールドアウトした「あいうえバトル」も再販します。

――デジタルゲームを作り続けている立場からすると、「ユーザーが楽しんでいる姿が物理的に見える」ことは非常に嬉しいものだと感じます。インタビュー後半では、アナログゲームでもヒットメーカーとして活躍する米光氏に、「どうすれば面白いゲームを作れるのか?」をお伺いしていきます。

▼後編記事

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神山 大輝

ゲームメーカーズ編集長およびNINE GATES STUDIO代表。ライター/編集者として数多くのWEBメディアに携わり、インタビュー作品メイキング解説、その他技術的な記事を手掛けてきた。ゲーム業界ではコンポーザー/サウンドデザイナーとしても活動中。

ドラクエFFテイルズはもちろん、黄金の太陽やヴァルキリープロファイルなど往年のJ-RPG文化と、その文脈を受け継ぐ作品が好き。

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