ゲームとはひとつの分野だけで成立するものではない。さまざまな分野を取り込むことで、より豊穣なものを作り上げられるものでもある。
しかしゲーム開発で、ゲーム以外のクリエイティブを取り入れようと考えるのは簡単ではない。どんなスタンスで行うのが重要なのだろうか? そこで改めて考えたいのは、PlayStationを生み出したソニーだ。
ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)は1994年に初代PlayStationをローンチして以来、およそ30年にわたってビデオゲームに音楽や映画などの文化を持ち込み続けた。そういうことができるのは、ソニーが長年にわたり家電業界で培ってきた、洗練された環境だからこそではないか? 筆者は長らくそう思っていた。
だが、そんな思い込みが破壊される機会があった。「Sony Park展 2025 」である。ゲームメーカーズでは本展の「Part 2」にビデオゲームに関連した展示があったため、今回は本格的な取材を行った。
そこでは言葉以上に場所そのものがソニーのクリエイティブを雄弁に語っていた。ソニーならではのゲームや音楽の見せ方はもちろんだが、いちばんの驚きはソニーグループのクリエイティブの土壌とは何かを生身で体感できたこと である。
その土壌とは「ソニーグループのクリエイティブとは、実は洗練された環境とは別のところにあるのではないか」と考えさせるものだった。
今回のレポートには、「ゲーム開発では、さまざまなジャンルを取り込んだクリエイティブはどんな姿勢で行うのが重要か? 」というヒントが多く含まれていると思う。ゲームでなにか新しいものを取り入れたいとき、参考になるかもしれない。
「外側」と「内側」の境界がない場所にて
Ginza Sony Parkは大企業の施設らしく洗練された建築をイメージしていたのだが、そんな先入観自体が間違いだった。そう現場に到着した瞬間に痛感した。
Ginza Sony Parkはファッションブランドやアートギャラリーが集まる街、銀座にある施設だ。大通りを歩いてみれば、グッチやジョルジオ アルマーニのようなハイブランドのビルが立ち並んでいるのが見える。少し路地に入れば小さなギャラリーが画家や彫刻家の作品を展示している。いずれも洗練された建築を見せることで、そのブランドや文化としての価値を見せている。
ところが、Ginza Sony Parkはグッチやアルマーニのようなビルとはまったく違う。外観はむき身のコンクリートで造られ、周りをステンレスのフレームが覆うという姿だ。まるで終わりなく建築を続けている建物のようにさえ映る。その荒々しい姿は、華やかな銀座の中で異質だった。
多くのファッションブランドの店舗やギャラリーがガラスを通して内部をうかがうことができるが、その服やアートはガラスの扉に閉ざされ、室内に飾られている。外と内を区切り、文化をショーケースの中へ収めるというのは普通の態度だろう。銀座に並ぶ店舗は、ほぼすべてがそうだ。
そんななか、Ginza Sony Parkが異様なのは施設の外も内もない構造を持つ ことだ。施設を歩いてみると、どこまでが外側で、どこからが内側なのかが分からないのである。
上の写真はGinza Sony Parkの階段を上ったところで撮ったものだ。写真だけ見れば、この場所は施設の内側だと思うかもしれない。しかし外からの風が通り過ぎ、自動車が大通りを過ぎる音が聞こえる。外からはステンレスのフレームにガラスが嵌められていると思っていたが、近くで見ると何もない。
また、地下鉄銀座線から地上に上がる通路がそのままGinza Sony Parkに繋がっている。綺麗に整備された構内から、むき出しの青いタイルの壁とコンクリートが露わになった階段が見える。これはGinza Sony Parkが建設される前の旧ソニービルの外壁をそのまま残しているらしい。施設はまるで駅から建築中の建物に迷い込むような構造を持つ 。
Ginza Sony Parkは施設の名前が “公園(Park)”と名付けられているように、公共に開かれた施設ではある。しかし、単純に “公園”というにはまったくの開かれた空間ではないし、 “施設”というには(他のファッションブランドやギャラリーの店舗みたいに)完全に閉じられた場所でもない。
外側と内側の決定的な境界線がないということ 。これは施設の構造というだけでなく、ソニーの文化に対するスタンスを空間として表しているといっていい。それが今回の「Sony Park展 2025」Part 2の展示にも反映されているのである。
テクノロジーとカルチャーを反映する器としてのゲーム
文化の内側と外側の境界線がないというのはどういうことか。普通、音楽は音楽、映画は映画と文化を分けて捉えがちだ。しかし「Sony Park展 2025」で思うのは、ソニーはどうもその境界を意識的に無くし、混ざり合う場所を生み出そうとしている ように見えることだ。
さまざまな文化を、テクノロジーによって混ぜ合わせることができるのがゲームといえるかもしれない。施設の中心へ向かうように歩くと内部に「Sony Park展 2025」のゲーム部門「ゲームは、社交場だ。 」の展示が見える。一歩足を踏み入れると、ゲームセンターを思わせる展示が行われている。
ここではシンプルな形でソニーグループが注力しているゲームやテクノロジーを披露するわけではない。今回は人気K-POPグループのBABYMONSTERとコラボレーションすることで違った体験を提供している。
まるで人気アーティストとゲームの境目がなく、自然と混ざりあう風景を見せているかのようだ。古くからPlayStationでゲームと違う業界から新しいゲームを生み出してきた歴史が思い出される。
かつて小室哲哉や電気グルーヴが関わったゲームが出てきたことがある。音楽ゲームの代表的なひとつ『パラッパラッパー 』もメインアーティストに現代美術家のロドニー・A・グリーンブラットを引き入れる試みをしていた。BABYMONSTERをフィーチャーするやり方もまた、そんな歴史に連なるやり方のように思えた。
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YouTube動画『BABYMONSTER – ‘DRIP’ M/V』
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「Sony Park展 2025」Part 2より、ゲームの「DRIP」をプレイ
たとえばアーケード筐体ではBABYMONSTERの楽曲「DRIP」のMV世界を簡単なランゲームに仕立ててみせる。「DRIP」のMVはカセットテープと運送車が印象的な一作だ。そのため、ゲームでも重要なモチーフとして登場する。ここではプレイヤーはチップチューンにアレンジされた「DRIP」をBGMに、運送車をジャンプさせて障害を回避するゲームプレイができる。ゲームと音楽の境界線を解き、BABYMONSTERの世界観を体験させる試みだ。
テクノロジーを見せる器になるのもまたゲームである。ビデオゲームでは近年、写真などからリアルな3Dモデルを生み出すテクノロジーを活用している。今回の展示では、そんなテクノロジーのひとつである可搬型ボリュメトリックシステム が展示されていた。
ボリュメトリックとはカメラを360°配置し、被写体をさまざまな角度から撮影することで3Dモデルを生み出す技術である。Ginza Sony Parkの展示では、そこからさらに持ち運びができる可搬性を融合させた撮影システムを構築している。これは機材を展示しているだけではなく、来場者も実際に撮影を体験できる のだ。
撮影した3Dモデルが、BABYMONSTERの楽曲をダンスする映像が流れる展示も。ちなみに左上から二番目の画面にはGinza Sony Parkプロジェクトのリーダーを務める永野大輔氏の姿も見られる
ここでは来場者が自分をボリュメトリックシステムで撮影し、その3DモデルがBABYMONSTERの楽曲をダンスする映像を作れる。撮影した映像はQRコードからスマートフォンでチェックでき、ダウンロードも可能だ。撮影から映像の完成までわずかな時間で、自分の3Dモデルが最先端ガールズグループのダンスを踊る姿ができあがる。そんな映像を眺めるのは不思議な感じがした。
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YouTube動画『BABYMONSTER – ‘SHEESH’ M/V』
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「Sony Park展 2025」Part 2より、ゲームの「SHEESH」をプレイ
このようにさまざまな試みがあるなか、ゲーム展でもっとも興味深かったのは「SHEESH」の世界観を生かしたリズムゲームである。ここでは近年のソニーが研究している触覚提示技術の “ハプティクス ”を活かした試みが行われている。
このゲームでは、プレイヤーは大型のモニターにスティック型のコントローラーを向け、画面の奥から流れてくるアイコンを「SHEESH」のリズムに合わせて撃ち落とすのだ。コントローラーにハプティクスが仕込まれており、ボタンを押すたびにどこか奥へ引っ張られるかのような、独特の振動が流れる。
このハプティクス技術がもっとも活用されているのは、おそらくPlayStation 5のデュアルセンスコントローラーだろう。だがソニーはこのテクノロジーをゲームだけではなく、他のエンターテインメントにも利用しようとしている。
テクノロジーによってさまざまなジャンルを繋ぎ合わせるだけではなく、文化を視覚や聴覚だけではなく他の感覚にも繋ぎ合わせようとすること 。それは後に続く展示からよく分かるのだった。
“目で見て、皮膚で触れられる”音楽の試み
文化の境界線を越境したり、混ぜ合わせたりするポイントに何らかのテクノロジーがある 。「Sony Park展 2025」Part 2の映画部門「映画は、森だ。 」では、音楽家の牛尾憲輔氏がキュレーションした映画のサウンドトラックでできたインスタレーションを体験できるようになっている。
ここでは木々を表すオブジェクトのひとつひとつに映画のサウンドトラックが配置されている。来場者はまるで木の麓に腰かけて、森の中の音を聴くかのように映画音楽を聴けるのだ。
この展示もまた、ある種の境界線を失くしているといえる。まるで「音楽とはただ耳で聴くだけではなく、目で見たものや空間から感じるものを総括したものだ 」と示すかのようだ。さまざまなインタビューを読むと、牛尾氏は山田尚子監督の『きみの色 』や『リズと青い鳥 』の音楽を制作するとき、普通の音楽制作とはいささか違うアプローチを取ることが語られている。そのスタンスが展示に表れていると言えるだろう。
牛尾氏の映画音楽インスタレーションがアート寄りの展示であれば、テクノロジーとしての映画の展示もあった。劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のトレーラー公開がそれだ。
この展示は、いわば視覚・聴覚・触覚それぞれの境界線を失くした映画体験はどうなるかを試すかのようだ 。190インチの大型スクリーンで上映される映像に合わせ、ソニーの立体音響技術である360 Reality Audio でミックスした音源を聴ける。さらに、先述したハプティクス技術による座席が、映像の展開に合わせて振動する。
これらはテクノロジーによって映画の世界をどこまで生々しく体験できるかに肉薄しようとしている。アート面とテクノロジー面の両輪によって、さまざまな文化をつなぎ合わせるスタイルこそソニーらしさと言えるかもしれない。
提供:Ginza Sony Park
©2025 MAPPA/チェンソーマンプロジェクト ©藤本タツキ/集英社
こうしたテクノロジーはフィクションの世界に入り込む以外にも、現実の音楽ライブや演劇といったリアルのエンターテインメントを生々しく感じさせることにも使われる。
「エンタテインメントテクノロジーは、ストリートだ。 」の展示では、ヒップホップユニットCreepy Nutsをモチーフにどこまでライブの空気感をテクノロジーで再現できるかを試しているようだった。
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「Sony Park展 2025」Part 2より、【Creepy Nuts ONE MAN TOUR 2024】での「Bling-Bang-Bang-Born」。動画では分かりにくいが、座席は振動している
ここではCreepy Nutsのライブ映像が上映されている。単にモニターでライブを見る展示じゃない。ソニーのテクノロジーによってライブの熱気を再生させようとしているのだ 。
鏡で囲われた空間の中で、ソニーの高画質LEDディスプレイ「Crystal LED 」を8台配置し、24台のスピーカーで構成する立体音響によってどの方向からもR-指定のラップが聴こえる。「Bling-Bang-Bang-Born」のサウンドに合わせ、映画部門の展示にもあったハプティクス技術の座席が揺れる。まさにライブの空間を体感させるものだったといえるだろう。
永野大輔氏に、施設と展示の意図を聞く
このように「Sony Park展 2025」が文化的な境界を外すような方向なのはなぜか。後日、この疑問について、永野大輔 氏にお話を伺う機会があった。
永野氏は今回のイベントの舞台となった施設を作る「Ginza Sony Park Project」のリーダーとして活躍する人物だ。つまり、ある意味ではソニーのクリエイティブコンセプトを空間のレベルから設計した人物とも言える。
以下、永野氏に今回の展示や、施設の構造から感じた疑問を伺ってみた。
――取材当日に銀座をぐるっと周って画廊やハイブランドのビルを見て痛感したのですが、あの場所にGinza Sony Parkが存在しているということ自体が批評的で面白いと思いました。
銀座は裕福なシニア層が来る街というイメージがあると思います。でも、今回の「Sony Park展」Part 2に来場しているメインの層は30代以下。BABYMONSTERを見に高校生も来場していて、面白い光景だなと思います。コンテンツや体験できることさえあれば、銀座にだって若い人が来るんですよね 。
街は多様であるべきだと僕は思っていて、Ginza Sony Parkにそういうアクティビティがあれば、周りにも「若者向けのものを置いたら売れるんじゃないか」と考える店舗が出てくるかもしれない。
街はこうしていろいろなものが混ざりあっていくほうが面白くなると思います 。
――銀座の多くの場所が敷居や境界を設けた「閉じた文化」である中で、Ginza Sony Parkはどこからが外側でどこからが内側なのか分からない異質な場所だと感じました。銀座にこうした「開かれた場所」を作ろうとした意図はなんでしょうか?
もともとGinza Sony Parkがあった場所にはソニービル という地上8階・地下5階の建物がありました。1966年に「街に開かれた施設」というコンセプトで、ソニーの創業者のひとり盛田昭夫がこの建物を建てました。しかし当時のソニーが行っていたのはエレクトロニクス事業のみ でした。ソニービルはそのブランド発信場所として建てられたのですが、ショールームとして機能していれば充分でした。つまり、ソニービルとその役割が1対1の関係だったんです。
けれど、ソニーの事業がエレクトロニクスだけでなく、音楽やゲーム、金融、半導体と拡がっていく中で、昔のソニービルでは充分なブランド発信ができなくなってきた んですね。
ソニービルを閉館したのは2017年なんですが、ソニーの事業は2010年台に入って非常に悪い状況でした。その時にソニービルが何と言われていたかというと「変われないソニーの象徴 」だったんです。
ソニーの事業が多角化したのに、ソニービルはいつまでもショールームのままでした。そうした背景があって、ソニービルを建て替えようという話になったんです。
その際に僕がイメージしたのは、創業者の想いを継承しつつ「多様化したソニーの事業を吸収できるプラットフォーム 」を作ろうということだったんです。
メタファーで表現すると、かつてのソニービルは単機能の「ガラケー」です。対してGinza Sony Parkは「スマートフォン」。あるいは「専用」になりすぎないことと言ってもいいかもしれません。エンタテインメントテクノロジー・半導体・音楽・映画・ゲーム・金融といったものが発信するときはそれぞれがコンテンツであり、アプリケーション であると考えています。そのため、プラットフォームであるGinza Sony Parkはできるだけプレーンであるほうがいい と考えました。
ソニーの事業はこれから増えるかもしれないし、減るかもしれません。しかし、ビルはこの場所で何十年も建ち続けます。その時にその変化に対応できるプラットフォームを作ろうとした結果が、外に開かれ、何者にも支配されない余白のある「公園 」だったんです。
――「遊具で遊ぶ場所」としての公園ではなくて、「自由に振る舞える場所」としての公園なんですね。
僕は「公園」であるための定義って、遊具や噴水、それから敷地面積といった要素は必ずしも必要では無いと考えているんです。公園では散歩してもいいし、お弁当を食べてもいいし、時には音楽のライブをやっていたりもする。では、何があれば「公園」になりえるかというと、「余白 」だと思うんです。使い方を自分で決められる「余白」があるからこそ人々は自由に過ごすことができる。「余白」にはいろんなものを受け入れ、受け流していける力があると僕は思っています 。
――Ginza Sony Parkの設計自体に、あらためてソニーの文化に対する姿勢も感じました。永野様の「のくらし」でのインタビュー を読ませていただいたところ、「余白を大事にすること」、「ぼくらが大切にしているのはノイズ」という発言が気になりました。永野様として「境界線をなくす」ということと「ノイズを大切にする」ということはどういう関係があるのか、詳しくお話を伺えればと思います。
Ginza Sony Parkは6割ぐらいのアクティビティと4割ぐらいの余白が混在している場所 だと思います。アクティビティに訪れるのは、何か目的を持った人。そうした人たちがいる一方で、何の目的も無くふらっとここを訪れる人も居ます。
余白というのは何も決められていない空間であるため、そうした人も受け入れることができます。何をするかは来園者次第。本を読んでいてもいいし、屋上でお弁当を食べてもいい。 自分だけの使い方に気付いたら、そこがお気に入りの場所 になるかもしれません。そのとき、公園はプライベートな空間になる と思っています。公園がパブリックな場であるためには、プライベートな空間が必要です。
――パブリックであるためにプライベートな空間が必要だというのは逆説的に感じます。
建築家の槇文彦さん(※) が、パブリックというのはプライベートな空間の集合体である ということを言っています。プライベートな空間を許容しないパブリックな空間は使いにくく、パブリックにはなりません。
※ 代官山のヒルサイドテラス、青山のスパイラルなどを手掛ける。国内だけでなく、世界貿易センタービル跡地の4 ワールド・トレード・センターなど海外でも活躍した
Ginza Sony Parkも、誰かが「これがパブリックです」と決めつけたような場ではなく、一人一人が思い思いに過ごせるようにイメージして作られています。
でも、余白だけだとソニーらしさからは遠ざかってしまうので、そこにアクティビティを入れてバランスよく運営しています。
いろいろなものが混在している、ということは「ノイズ 」のニュアンスに近いですね。全部がクリーンであると面白くないんです。何か引っかかりがあるほうが、人の印象には残るものです。
――ソニーの商品は洗練されたプロダクト、というイメージが強かったのですが、ソニーグループには全体としてノイズも含めた さまざまなものを「受け入れる」文化があるように見受けられます。
これがソニーの企業文化と合致しているかというと、ちょっと分からないのですが、ビルの中に余白を設けた構成でビルを使い、最も高い家賃となる地上1階と2階を吹き抜けにして街に開放するという使い方はとてもユニーク です。
最近の世の中は、世間に対する寛容さが失われているとも感じます。街にあるビルが他との境界線を引くのは、犯罪から守る必要があるからという側面もあるのだろうと思います。でも僕はもう少し世の中を信じて寛容になってみようと思っているんです。ただそれは思い付きでやっているのではありません。2018年から2021年の3年間の実証実験を経て「ここまでなら開いても大丈夫」とデータを取った上でやっているんです。実際、Ginza Sony Parkは寛容になったからといって犯罪が増えているわけではないんですね。
ソニーらしくユニークであるために、やりたいこと・面白いことだけをやっているわけではなくて、その裏で事業性・ブランディング・お客様満足すべてを達成するため、綿密にプログラムされています 。この準備期間が非常に大事です。
建物の高さも銀座であれば11階ぐらいまでは建てることができるのですが、閉館前のソニービルよりも8階分の建物がなくなった3年間のときのほうが、街に開いた構造でお客様が多かったという事実もあり、試算により5階で充分という結論になりました。もちろん、それによって建築費も安くなります(笑)。
――非常に唸らされるお話でした。ソニーのこうした企業理念・行動原理はどのようにして醸成されたものなのでしょうか。
1946年にソニーが設立したときに書かれた設立趣意書 には「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設 」という言葉があります。これをブランディングという面から解釈すると「ユニークである 」ということが最もコアな思想だと個人的には考えています。ここでいうユニークとは「他とは違う 」「個性的である 」という意味で、これは創業者のひとりである井深大 の「人のやらないことをやる 」という言葉とも通じます。ソニーの社長が変わるごとに経営方針も変わっていますが、それでも変わらないものがこの理念だと思います。
もう一つはソニーの事業面ですね。設立時の事業はエレクトロニクスだけでしたが、その後に音楽・映画・ゲームなどの事業に乗り出していきました。なぜ最初にハードウェア事業を行っていて、音楽などのソフトウェア事業を始めたのかというと、これも当時の社長の言葉ですが「ハードとソフトは車の両輪である 」というものがあります。ハードがあってもソフトがなければユーザーは楽しめない、と1960年代に音楽の会社を作り、その後、映画会社を買収してその両輪を実現していったのが1980年代のことでした。またソニーミュージックからスピンアウトする形で生まれたのがゲーム事業です。
音楽や映画は同じソニー内とはいえハードとは分かれていた事業体でしたが、ゲーム事業はハードとソフトの両輪を、当時のソニー・コンピュータエンタテインメントが1つの事業体の中で体現し凝縮したという意味ではとても「ユニーク 」でソニーらしいエポックメイキングであったと理解しています。
――今回のSony Park展で音楽や映画の事業を総括するポイントとして、さまざまな分野で研究・活用されているハプティクスの技術を興味深く拝見しました。今後もソニーにおけるエンターテインメントでは、こうした五感における「触覚」の追究を行っていくのでしょうか。
今後、ソニーがどのようにハプティクスをどのように扱っていくかは僕の領域ではないR&D分野なのでお答えすることはできないため、Sony Park展の文脈でお答えします。
もともと「Sony Park展」はソニーの6事業を認知してもらうために開かれた展示会です。単に事業紹介をするのでは面白くないので、事業をテーマ に変換して、ソニーミュージックを中心としたアーティスト 、そしてテクノロジー を掛け合わせ、お客様に楽しんでいただける体験を作れないか、というところからスタートしています。
「Sony Park展」Part 1とPart 2のテーマとアーティスト
提供:Ginza Sony Park
技術ありきではなく体験に合わせた形でハプティクスやセンサーなどの技術を使っており、たまたまハプティクスはPart 1でもPart 2でも使った技術となりました。
ただ、ハプティクスに対するお客様の反応はとてもいい と感じています。Part 1では床にハプティクスを使い、あたかも水面を歩いているかのような体験 をしていただいたんですね。中には本物の水たまりなんじゃないかと足早に通り抜けたり、水の跳ねる音を楽しむ方もいらっしゃいました。こうしてお客様に喜んでいただけている様子を見ると、ハプティクスに対する今後の可能性というのは感じているところです。
――最後に、これからのクリエイターに向けてアドバイスをお願いします。ゲームもこれからさまざまな文化を受け入れて、新しい体験を作ろうとするクリエイターの方が出てくるかと思います。そうした方に向けて、Ginza Sony Parkのようにさまざまなものを受け入れ、新しいものを生み出す「プラットフォーム」であるために個人として何ができるのか、アドバイスをいただければと思います。
余白は何も決められていない空間であるため、クリエイターはそこで何をするのかを自分で創造し、決めることができます。これが商業施設のように食品売り場、靴売り場と決められた場所であると、思考はそこで停止してしまいます。
でも、「公園」であればそこで何をするかは自分で決められる。何をするかの主体はソニーであることもあれば、クリエイターであることもあると思いますが、余白があるからこそインストールできる んですね。
場所が何をするか決めるのではなく、来園者が主体的に何をするか決める。クリエイティブな人たちが余白を使ってやりたいことをやり、それに惹きつけられてまた別の人がやってくる、という連鎖が新しい文化や新しい事業を生むのではないかと考えています 。
余白ばかりで「何も無いじゃん」と思う人も中には居るかもしれません。しかし、余白には未知の可能性があると思います。
さまざまな分野を横断したクリエイティブとはどうやればできるのか——永野氏のお話からは、そんなことも考えさせられた。
「Sony Park展 2025」はその展示の内容はもちろん、展示のコンセプトを考えることも含めて体験していけば、私たちもまたゲームで既存の価値観から離れたものを作れるのかもしれない。
「Sony Park展 2025」公式サイト
「ジャンル複合ライティング」というスタンスで活動。ビデオゲームを中核に、映画やアニメーションをはじめ、現代美術から格闘技、社会など数多くのジャンルを横断した企画やテキストを執筆している。